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『広報とね』の変遷をたどってみる

利根町は、昭和30年に町村合併により誕生しました。
町の情報を伝える広報誌である「広報とね」の第一号が発行されたのは昭和39年。町に保管されている広報とねの中で最も古いものは昭和40年1月1日に発行された第9号です。


2022年7月に発行された広報とね700号記念号で、広報とねの変遷をたどってみました。

https://www.town.tone.ibaraki.jp/data/doc/1656652602_doc_1_1.pdf



昭和40年1月1日発行の広報とね9号は、現在町で保管されている広報とねの中で最も古いもの。新聞のような構成になっていて、紙面のほとんどが文字で埋め尽くされています。タイトル欄にはナマズ(?)の絵が描かれています。



昭和40年に町章が制定され、昭和41年頃から町章のマークが使われ、表紙に写真が入る構成になりました。また、上下折りたたみの造りも廃止され、現在のような冊子タイプになりました。


昭和46年に二代目(現)「栄橋」が開通。橋の掛け替えについては、開通するまで何度も広報で取り上げられており、当時、町民の関心が高い出来事だった事がわかります。


昭和50年7月号頃から表紙一面に写真が使用されるスタイルが確立されました。


昭和56年、台風15号による小貝川堤防の決壊があった時には、9月号で被害の様子が伝えられました。


昭和60年6月号からタイトル表記が一新。また、タイトル横に掲載していた風景写真が廃止され、広報そのものも大きくなりました。


平成18年5月号からタイトル表記・及び記載場所を一新。かつて町勢が記載されていた箇所は、当月号の主な内容・目次に変化しています。


そして平成29年4月号より、パソコン上で原稿の入力から編集、レイアウト作業を行うDTPを導入したことで、校了直前まで最新記事を入れる事ができるようになり、デザインの自由度も高くなりました。


ざっと広報とねを振り返ってみましたが、時代の移り変わりとともに広報誌も変化し続けてきていることがわかります。
古い広報誌の細かい記事に目を向けてみると、当時の様子がわかり、驚きや発見があります。広報誌は、未来に残すべき貴重な町の記録といえるのではないでしょうか。

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